北村薫『朝霧』を文庫版で読み直す
*このブログ記事は北村薫「朝霧」の内容の一部を引用しています。また読者として当該作既読の方を対象にしていますので、内容について詳しく述べてはいません。
北村薫『朝霧』を読み返そうと思った。単行本(東京創元社、1998年4月)で持っているのだが、携行して読む便のために図書館で創元推理文庫版(2004年4月)を借りた。
表題作「朝霧」を読んでいて、以下の箇所ではっと胸を突かれた。
帰り道、神田の本屋さんに寄って、『万葉集』の、この歌の番号を調べた。五九九番である。
家に帰って、本棚から祖父の持っていたであろう『万葉集』を探した。学生時代のものは岩波文庫かもしれない。そちらは分からなかったが、古い『折口信夫全集』があった。背表紙のすでに黄色く変色した本である。祖父のものだ。第四巻が『口譯萬葉集(上)』。円紫さんのいう通り、《鈴ちゃん》が使ったものとは、微妙に形が違う。歌は、開かれた本の中央に、ちょうど右ページの最後と左ページの最初に、裂かれるように二行に書かれていた。
私はそれをじっと見つめた。朝霧のおほに相見し人故に、
命死ぬべく恋ひ渡るかも(文庫版244-245頁)
単行本を確認した。ここではこの歌は「裂かれ」ていなかった(208-209頁)。
文庫版での組版が意図的なものか、それとも偶然なのかはわからない。ただ、この文庫版を読んで「私」を追体験できたような気持になった。