「修道女」が探偵役の「宗教」ミステリー H・H・ホームズ『九人の偽聖者の密室』

 アメリカの作家アンソニー・バウチャー(これもペンネーム)がアメリカの連続殺人鬼の偽名をペンネームに1940年に出版したNine Times Nineの邦訳は雑誌に掲載されて以来、単行本化されないままだった。それが、旧訳の単行本化と新訳の出版が2022年9月になされ一部で話題となっていた。

 今回私が読んだのは新訳のほうで、山口雅也製作総指揮のシリーズ「奇想天外の本棚 = Kiten Books」の第1回配本である。

 事件を解決するのは「ベタニアのマルタ修道会」のシスター・アーシュラである。この架空の修道会の創始者、マザー・ラ・ロッシュは列福されていて、会員は彼女の列聖を目指しているという。そして一年に一度、誓約から解放される。彼女はこの修道会についてこう言っている。

わたしたちは、清貧、貞潔、従順という、通常の三つの誓いを立てていますが、教会法の対象ではありません。教皇聖座の認可を求めたことはないのです。マザー・ラ・ロッシュは、この共同体を平信徒のものとし、個人が誓いを立てる場にしたいとお考えになったのです。厳密にいえば、わたしたちは修道女ではありませんの

(同書、268頁。)

ベギン会のようなものだろうか。

 事件については、被害者は宗教詐欺を弾劾する本を書くウルフ・ハリガンという人物で、<光の子ら>という教団について調査していた。彼の家族は敬虔なカトリックであり、姉のエレンは非常に敬虔で邸内の礼拝堂でよく祈りを捧げているのだが、ウルフの殺害が行われた時も、犯人の唯一の可能な脱出路と思われるここにいた。シスター・アーシュラは、被害者の娘のコンチャに伯母の教会での行動を確認させる。ここもカトリック信仰をよく利用している。

 山口雅也による「解説」によると著者は敬虔なカトリック信者ということで(同書、5頁。)、カトリックについての知識が活かされていると思った。

Julian-Claudian, the Roman Emperor? (S・S・ヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』より)

 S・S・ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』の新訳(日暮雅通訳、創元推理文庫、2024年)を読んでいて、「ユリアヌスークラウディウス(四世紀ローマの皇帝)」(同書、109頁)という言葉が出てきた。銃による殺傷事件が起きたグリーン家の退廃について主人公のヴァンスが語る場面で、「ウィッテルスバッハ家」、「ロマノフ家」、「アッバース朝」と並んで旧家の退廃の例として挙げられている。同じ部分を別の訳で確認すると、「ジュリア・クローディアン王家(四世紀のローマ王家―訳者)」(延原謙訳、新潮文庫、1959年、97頁)とある。引用部分の丸括弧内はどちらも訳者による割註である。

 原著で確認してみると、"the Julian-Claudian house" (Charles Scribner's, 1928, p. 87)とあった。"Julian-Claudian"は"Julio-Claudian"のことであろう。四世紀のローマ皇帝「背教者」ユリアヌスがFlavius Claudius Julianusというとはいえ、言及部分は、アウグストゥスに始まってネロに終わるローマ帝国の王朝である「ユリウス・クラウディウス朝」を指すとみるのが妥当である。

ジェイムズ・ヤッフェ「皇帝のキノコの秘密」―クラウディウス毒殺の謎

 「ブロンクスのママ」シリーズで有名な作家ジェイムズ・ヤッフェは15歳の時EQMM誌に短編ミステリ「不可能犯罪課」を投稿し、同誌1943年7月号に掲載されデビューしている。その後このシリーズ全6作が同誌に掲載された。

 「皇帝のキノコの秘密」は第5作目でEQMM1945年9月号に掲載されている。シリーズ探偵、ニューヨーク市警不可能犯罪課の唯一の課員ポール・ドーンは友人である古代史の教授からクラウディウス帝毒殺の謎に挑むように求められる。

 冒頭にタキトゥス年代記』第十二巻からの引用があ。おそらく著者は、毒見役がいるのになぜクラウディウス帝に毒を盛ってキノコ料理を食べさせられることができたのかと考え、さらに以下の設定を加えて不可能犯罪を演出したのだろう。

「〔略〕クラウディウスはおそらく歴代の皇帝の中でも、とりわけ神経質で臆病で猜疑心の強い人物だったのだろう。片時も、毒見役をそばから離さずにいた。その毒見役は名をハロトゥスといい、タキトゥスの『年代記』では簡単にしか触れられていない。だが、他のさまざまな文献が、クラウディウスがいかに毒を恐れていたかを詳しく伝えている。彼の約束事はこうだった。毎回、食事の前に、ハロトゥスがひととおり毒見する様子を見守る。次に、ハロトゥスを傍らに置きながら、時を待つ。それも、二分や三分ではなく、必ずきっかり一時間。一時間経過してもハロトゥスに異変がなければ、晴れてクラウディウスはご馳走にありつくことになる」〔略〕「〔略〕さて、この話は、ここでまさしく不可能犯罪となる。毒入りキノコ料理がクラウディウスに出されたのなら、毒見役のハロトゥスも、先にその一部を食べているはずだ。三十分もすれば、具合が悪くなり、症状が出ただろう。一時間後には、さらに容態が悪くなっていたに違いない。であれば、なぜ、クラウディウスは躊躇なく、そのキノコ料理を食べたのか? 

(ジェイムズ・ヤッフェ(上野真理訳)『不可能犯罪課の事件簿』論創社、2010年、129-130頁。)

 スエトニウスによれば、クラウディウスは暗殺を恐れていたのだが、

 しかし、なによりも自信のない人であった。〔略〕槍を持った身辺護衛者がまわりに立っていない限り、そして兵士が召使の代わりを勤めない限り、宴会の席に進んで入ろうとしなかった。

(スエトニウス「クラウディウス」35、国原吉之助訳『ローマ皇帝列伝』(下)、岩波文庫、1986年、120頁。)

これによると、クラウディウスは毒殺よりも凶器による暗殺を恐れていたようである。

 

マックス・ウェーバー著、野口雅弘訳『支配についてI 官僚制・家産制・封建制』(岩波文庫、2023年)

 先日出版されたマックス・ウェーバー著、野口雅弘訳『支配についてI 官僚制・家産制・封建制』(岩波文庫、2023年)を読んだ。訳者あとがきに「このテクストは百年以上前に書かれたものであり、現代社会について現代の人が書いた研究ではない。しかしそれでも、リベラル・デモクラシーがさまざまな挑戦を受けている現在、リベラル・デモクラシーを前提にした議論では手が届かない。支配を支える利害関心と動機づけの力学に私たちは向き合わねばならなくなっている。ウェーバーに『支配について』の読み方は読者に開かれているが、本書を読む一つの意義はこのあたりにあると思われる。」*1とあったが、訳註に現代的な例が多く挙げられていて興味深い。例えば、「官僚のザッハリヒカイトは〔官僚の利益のためでなく〕支配される側の人の利益のためである。」*2という一文につけられた訳註は以下のようである。

官僚のザッハリッヒな、事柄に即した事務的な態度は、しばしば「杓子定規」などと呼ばれて、嘲笑の対象とされる。しかしウェーバーがここで述べているのは、この「杓子定規」が支配される側の人たちの利益になるということである。「杓子定規」であるということにこそ、権力の濫用が抑制されるからである。役所の窓口で生活保護の申請が門前払いされることが問題なのは、その対応が「杓子定規」だからではなく、むしろその逆だからである。*3

 また、「官僚制と政治的統一、コングロマリット的結合」(109-112頁)、「中央からの距離、サトラップ(州総督)と大名、統一性とコングロマリット」(336-339頁)という二つの章で"Konglomerat" という言葉を使っている。これはまさに「礫岩国家」(conglomerate state)論を想起させる*4

 もっとも、最初に挙げた〔国家〕形態の時間的〔に長期の〕存続は、純粋に政治的、、、な意味での国家の統一性の強度という観点からすると、コングロマリットのような結合であった。全体的として政治的な実行力が着実に低下する傾向が、コングロマリット的な結合にはあった。*5

 しかし、以下のところは、「礫岩国家」論と一致するのだろうか?

 中世のいたるところで、強度のある「近代的」国家形態の萌芽が、官僚制的構成体の発展と結びついて生まれた。それだけでなく、本質的に不安定な均衡状態を基礎にした、あのコングロマリットを最終的に崩壊させたのが、官僚制が最も発展した政治形態であったことも疑いの余地はない。*6

 

*1:同書、544-545頁。

*2:同書、302頁。

*3:同書、304-305頁

*4:「礫岩国家」論についてはさしあたり以下を参照。 中澤達哉「シンポジウム趣旨説明〔礫岩国家の三点測量―歴史的ヨーロッパにおける複合政体を比較する〕」『プロジェクト研究』(早稲田大学総合研究機構誌)10号、2015年、 154-156頁。

*5:『支配についてI』111頁。

*6:同書、112頁。

イタチとキツネ

 昨日放送されていた『ズートピア』を見て、キツネに対するステレオタイプは払拭されていたが、イタチのそれはされていないな、と思った。キツネと同じくイタチにも「ずるい」動物というイメージがあるが、抜け目ない詐欺師のニックと海賊版DVDを売っているデュークの差のごとく、「狡知」というイメージはキツネにはあるが、イタチにはない。
 泡坂妻夫の短編推理小説の一つに亜愛一郎シリーズの「G線上の鼬」(『亜愛一郎の狼狽』所収)という作品がある。雪の日に有料道路を走行中の主人公の亜愛一郎の乗るタクシーに、タクシー強盗に襲われ逃げてきた運転手が駆けてくる。彼も乗せて料金徴収所まで行き、電話で警察に通報。パトカーを連れて現場へ向かうとタクシーは残されていた。車内には強盗の死体があり、車から出て行った足跡は一組のみだった。状況から殺害犯人はタクシー運転手以外ないように思われたが、亜は運転手証言から真相を導き出す。

「あなたは強盗を形容するのに<鼬みたいに陰険ですばしこかった>と表現したじゃありませんか。普通なら、鼬よりも狐を連想する方が自然じゃありませんか。<狐のように陰険ですばしこかった>などとね。〔以下略〕」*1

 

*1:泡坂妻夫『亜愛一郎の狼狽』創元推理文庫、1994年、219頁。

二人のイサキオスの混同? 江戸時代後期の儒学者に叙述されたビザンツ帝国

 杉下元明「幕末維新期の知識人にうたわれたローマ帝国」(同著『比較文学としての江戸文学』汲古書院、2023年、277-297頁。初出:『日本漢文学研究』8号、2013年、19-40頁。)を読んで、江戸時代後期の儒学者斎藤竹堂(1815-1852)が漢文で著した『蕃史』というを西洋の歴史についての著作にビザンツ帝国の歴史についての記述があるのを知った。

千百八十年(高倉天皇治承四年に当たる)庵多魯吉斯アントロキス、母后制里那加セリナカを執り罪を誣し之を海に溺れしむ。(略)帝族に伊佐粛斯イサシウス有り。加列児臥羅多カレルクロトの庶孫なり。其の才有るを以ての故、魯吉斯は之を殺さんと欲す。粛斯、海浜に避くること久しくして、諸国愈々乱るるを見、遂に義兵を倡へ、際波里斯セホリスを取って、之に拠り、檄を伝へ、魯吉斯弑逆の罪を鳴らす。(前掲論文、286頁、註記号省略)

 「庵多魯吉斯」即ちアンドロニコスは、論文著者が註で指摘しているように(前掲論文、297頁)、皇帝アレクシオス二世の母を殺害し、やがてアレクシオス二世も殺害して帝位を簒奪するのだが、マリアの殺害は1182年である。その名はマリアあるいはマリーで、「制里那加」がどこからきたのかわからない。「伊佐粛斯」即ちイサキオスの先祖「加列児臥羅多」も普通に聞くとフランク人の名前みたいでよくわからない。イサキオス・アンゲロスはアンドロニコスに命を狙われた後、コンスタンティノープルで蜂起しており、「海浜」に逃れていない。上記のように史実とかなり異なる部分も多いのでが、「際波里斯」がもしキプロスを指すなら、「伊佐粛斯」はキプロスで自立したイサキオス・コムネノスを指すという可能性はないか?

 ジョナサン・ハリス著(井上浩一訳)『ビザンツ帝国 生存戦略の一千年』(白水社、2018年)にアンドロニコス治世末期の両イサキオスについてのまとまった個所があったので引用する(同書272頁)。

 コンスタンティノープルの外に出ると、アンドロニコスの恐怖政治は属州の分離主義を加速し、さらに不幸な結果となった。一一八四年に、アンドロニコスの近臣で元キリキア長官のイサキオス・コムネノスが、軍を率いて小アジアからキプロス島へ渡った。島に入ったイサキオスは、自分を島の長官に任命するという偽の皇帝書簡を提示した。ひとたび支配権を握るや、彼は本心を露わにし、皇帝と名乗った。イサキオスの最終的な目標はコンスタティノープルであったが、結果的に、この反乱はキプロス島を帝国から分離させることになる。イサキオスのキプロス独立政権は一一九一年まで続いただけで、この年、聖地の十字軍に合流する途上のイングランドリチャード一世獅子心王の侵入を受け、征服されてしまった。キプロス島は二度とビザンツ支配下に戻らなかった。
 アンドロニコスの恐怖政治は一一八五年九月にあっけなく幕切れとなった。取り巻きの何人かが、イサキオス・アンゲロスという金持ちの若い貴族を謀反の疑いで逮捕するため、その屋敷に向かった。逮捕されれば間違いなく死が持っていると悟ったアンゲロスは、馬上に打って出ると、やって来た連中のひとりを殺し、町を駆け抜けて聖ソフィア教会に向かった。聖ソフィア教会で皇帝を宣言したところ、アンドロニコスがアレクシオス二世を廃位した時には動かなかったコンスタンティノープルの群衆が、今回はイサキオスの呼びかけに応じた。事態の急変を知ってアンドロニコスは都を脱出しようとしたが、つかまって連れ戻された。皇帝は激昂した民衆によって競馬場でなぶりものにされ、壮絶な最期を遂げた。

 アンドロニコスに殺されそうになって皇帝を名乗ることにしたイサキオス・アンゲロスとキプロスに拠って皇帝を名乗ったイサキオス・コムネノスの両者を、竹堂か彼が参考にした書籍(論文の著者によればおそらく漢籍)のいずれかが混同したのではないだろうか。

女帝の時代

*当記事は2021年6月26日の著者自らの一連のツイートを元にしている*1

 

 義江明子著『女帝の古代王権史』(ちくま新書、2021年)によると「父系直系継承を支えるための「中つぎ」」にすぎないとみなされてきた古代の女帝が、最近の研究ではかなり主導的に統治していたことがわかったという。孝謙=称徳はともかく(それも男性である道鏡の影響のせいにされてしまうが)、皇極=斉明も主導的に統治していたという。そこで、ビザンツの3人の女帝、エイレーネ(在位797-802)、ゾエ(在位1042)、テオドラ(在位1042、1055-56)について考えてみた。

 エイレーネは実の息子である皇帝を廃位して即位しているから主導的に統治している。ゾエの妹テオドラとの短期間の統治は多分に状況の産物だが、重祚後のテオドラは男性の皇帝を選ばなかったり、垂簾の後ろにいずに直に臣下に対したりしてかなり主導的に統治したといえるのではないか*2

 また義江本で、そもそも倭では女性首長を排除する社会通念は存在しなかったのだが、「五世紀を通じて、中国皇帝から授与される将軍号を軸に軍事編成と国内豪族の組織化が進み、王が男であることは既定事実」(70頁)となっていたのだが、「世襲王権の形成につれて、六世紀の半ばの欽明の頃には血統的条件が王位継承の第一要件に浮上」(同)したとあり、これが結局推古の即位につながった。軍事司令官であることが要請される「ローマ皇帝」として初の女帝となったエイレーネについて、井上浩一『ビザンツ皇妃列伝』は「このような比較的平和な時代であったのは偶然ではあるまい」(筑摩書房版、111‐112頁)としている。エイレーネは5年余の統治の後廃位されているが、一方テオドラは死ぬまでその座にあった。これは前者が単なる皇妃・皇太后に過ぎなかったのに、後者がマケドニア王朝の最後の正嫡であったことも一因であろう。そうなるとこの点でも、日本古代の女帝との類似点が見いだせることになる。

*1:

https://twitter.com/Basilio_II/status/1408589026676727809および

https://twitter.com/Basilio_II/status/1408597720231661570に連なるスレッド

*2:テオドラの二度目の統治についてはプセロス『年代記』6巻末が詳しい。英訳は以下

https://sourcebooks.fordham.edu/basis/psellus-chrono06.asp