*当記事は2021年6月26日の著者自らの一連のツイートを元にしている*1。
義江明子著『女帝の古代王権史』(ちくま新書、2021年)によると「父系直系継承を支えるための「中つぎ」」にすぎないとみなされてきた古代の女帝が、最近の研究ではかなり主導的に統治していたことがわかったという。孝謙=称徳はともかく(それも男性である道鏡の影響のせいにされてしまうが)、皇極=斉明も主導的に統治していたという。そこで、ビザンツの3人の女帝、エイレーネ(在位797-802)、ゾエ(在位1042)、テオドラ(在位1042、1055-56)について考えてみた。
エイレーネは実の息子である皇帝を廃位して即位しているから主導的に統治している。ゾエの妹テオドラとの短期間の統治は多分に状況の産物だが、重祚後のテオドラは男性の皇帝を選ばなかったり、垂簾の後ろにいずに直に臣下に対したりしてかなり主導的に統治したといえるのではないか*2。
また義江本で、そもそも倭では女性首長を排除する社会通念は存在しなかったのだが、「五世紀を通じて、中国皇帝から授与される将軍号を軸に軍事編成と国内豪族の組織化が進み、王が男であることは既定事実」(70頁)となっていたのだが、「世襲王権の形成につれて、六世紀の半ばの欽明の頃には血統的条件が王位継承の第一要件に浮上」(同)したとあり、これが結局推古の即位につながった。軍事司令官であることが要請される「ローマ皇帝」として初の女帝となったエイレーネについて、井上浩一『ビザンツ皇妃列伝』は「このような比較的平和な時代であったのは偶然ではあるまい」(筑摩書房版、111‐112頁)としている。エイレーネは5年余の統治の後廃位されているが、一方テオドラは死ぬまでその座にあった。これは前者が単なる皇妃・皇太后に過ぎなかったのに、後者がマケドニア王朝の最後の正嫡であったことも一因であろう。そうなるとこの点でも、日本古代の女帝との類似点が見いだせることになる。
*1:
https://twitter.com/Basilio_II/status/1408589026676727809および
https://twitter.com/Basilio_II/status/1408597720231661570に連なるスレッド