マックス・ウェーバー著、野口雅弘訳『支配についてI 官僚制・家産制・封建制』(岩波文庫、2023年)

 先日出版されたマックス・ウェーバー著、野口雅弘訳『支配についてI 官僚制・家産制・封建制』(岩波文庫、2023年)を読んだ。訳者あとがきに「このテクストは百年以上前に書かれたものであり、現代社会について現代の人が書いた研究ではない。しかしそれでも、リベラル・デモクラシーがさまざまな挑戦を受けている現在、リベラル・デモクラシーを前提にした議論では手が届かない。支配を支える利害関心と動機づけの力学に私たちは向き合わねばならなくなっている。ウェーバーに『支配について』の読み方は読者に開かれているが、本書を読む一つの意義はこのあたりにあると思われる。」*1とあったが、訳註に現代的な例が多く挙げられていて興味深い。例えば、「官僚のザッハリヒカイトは〔官僚の利益のためでなく〕支配される側の人の利益のためである。」*2という一文につけられた訳註は以下のようである。

官僚のザッハリッヒな、事柄に即した事務的な態度は、しばしば「杓子定規」などと呼ばれて、嘲笑の対象とされる。しかしウェーバーがここで述べているのは、この「杓子定規」が支配される側の人たちの利益になるということである。「杓子定規」であるということにこそ、権力の濫用が抑制されるからである。役所の窓口で生活保護の申請が門前払いされることが問題なのは、その対応が「杓子定規」だからではなく、むしろその逆だからである。*3

 また、「官僚制と政治的統一、コングロマリット的結合」(109-112頁)、「中央からの距離、サトラップ(州総督)と大名、統一性とコングロマリット」(336-339頁)という二つの章で"Konglomerat" という言葉を使っている。これはまさに「礫岩国家」(conglomerate state)論を想起させる*4

 もっとも、最初に挙げた〔国家〕形態の時間的〔に長期の〕存続は、純粋に政治的、、、な意味での国家の統一性の強度という観点からすると、コングロマリットのような結合であった。全体的として政治的な実行力が着実に低下する傾向が、コングロマリット的な結合にはあった。*5

 しかし、以下のところは、「礫岩国家」論と一致するのだろうか?

 中世のいたるところで、強度のある「近代的」国家形態の萌芽が、官僚制的構成体の発展と結びついて生まれた。それだけでなく、本質的に不安定な均衡状態を基礎にした、あのコングロマリットを最終的に崩壊させたのが、官僚制が最も発展した政治形態であったことも疑いの余地はない。*6

 

*1:同書、544-545頁。

*2:同書、302頁。

*3:同書、304-305頁

*4:「礫岩国家」論についてはさしあたり以下を参照。 中澤達哉「シンポジウム趣旨説明〔礫岩国家の三点測量―歴史的ヨーロッパにおける複合政体を比較する〕」『プロジェクト研究』(早稲田大学総合研究機構誌)10号、2015年、 154-156頁。

*5:『支配についてI』111頁。

*6:同書、112頁。