『アレクシアス』中の皇帝の名に因んだ金貨名称について

 アンナ・コムニニの『アレクシアス』の中に引用されている二つの外交文書において、2回皇帝の名に因んだ金貨名称が登場する。

 一つ目はアレクシオス1世の西の皇帝ハインリヒ4世宛書簡で、ハインリッヒに贈られた貨幣の金額は「細工された銀イルガズメノス アルギロス、古い時期の純分の、ロマノス帝の像の刻まれた貨幣ロマナトンで支払われた」(『アレクシアス』第III巻10章4節)*1と書かれている。

 二つ目はボエモンとのディアボリス条約の中で、年金を「ミハイル帝の肖像貨幣ミハイラトゥハライ 」(同書、第XIII巻12章25節)*2で支払うことになっている。

 この前者がロマノス3世アルギュロスであるが*3、後者の「ミハイル(ミカエル)帝」について、日本語訳の註は以下のようになっている。

ミハイル帝の肖像貨幣はAlexias, Pars Alteraによれば、aurum effigie Michaelis Paphlagonis ornatum (ミハイル=パフラゴニオス帝の肖像の刻まれた金貨)。このミハイル4世(在位1034~41年)の金貨純度を保持していたが、コンスタンディノス9世モノマホス(在位1042~55年)の治世には金貨ノミスマの純度は18カラット(本来のノミスマは23ないし24カラットに下落した*4

この翻訳の底本Annae Comnenae Alexiasおよび校訂者の一人Dieter R. Reinschによるドイツ語訳の註はそのような解釈になっている*5。しかし、英語訳やフランス語訳の註ではミカエル7世としている*6

 デュ・カンジュによるこの語の注釈では、ミカエル7世の金貨を指している*7。それ以降通常はそのように解釈されてきたが、フィリップ・グリアソンは金貨の貶質の研究の元に、ミカエル7世の金貨は貶質しているので、「ミハイラトン」という言葉はそれ以前のミカエル4世の金貨を指すとした*8

 「ミハイラトン」という金貨名称については、セシル・モリソンの研究があり、『アレクシアス』のこの記述にも言及している*9。「ミハイラトン」という金貨名称がミカエル7世の肖像の金貨であることは認めていいだろう*10。グリアソンも後に、この見解を受け入れている*11。ただ"solidus michalati"の語が1038か1039年に表れている文書があり、これはミカエル4世のものだと思われる*12

 なぜボエモンへの年金支払いがミカエル7世の金貨で勘定されているかということについて、Sewter-Frankopan, Leibともに、アレクシオス1世初期の金貨よりもミカエル7世のそれの方が質が良かったからだとしている*13 。彼らも価値が高い金貨だから用いられたとする点では、初期のグリアソンと変わりはない。しかし、1092年以降、新金貨ヒュペルピュロンをはじめとした幣制改革が行われ、金貨の純度は向上していた。

 これに対しモリソンは、特に北シリアと南イタリアでミカエル7世位の一連の外交的・軍事的の結果として考えれば、「ミハイラトン」の大量の流通を大げさに考えることはないとしている*14異なった純度の貨幣間の交換比率がしっかりと定まっていれば、貨幣自体の純度はさほど問題にならなかったのかもしれない。

*1:アンナ・コムニニ著、相野洋三訳『アレクシアス』悠書館、2019年、118頁。

*2:前掲書、467頁。

*3:ただし、Sewter-Frankopanの註ではロマノス4世ディオゲネスとしている。Anna Komnene, tran. by E. R. A. Sewtor, rev. with introd. and notes by P. Frankopan, The Alexiad, London, 2009, p. 494, n. 39.

*4:前掲書、逆ノンブル251頁。

*5:Diether R. Reinsch & Athanasios Kambylis, eds., Annae Comnenae Alexias, Berlin, 2001, 2 vols., v. 2, p. 53; Anna Komnene, übersetzt von D. R. Reinsch, Alexias, 2. Aufl., Berlin, 2001, S. 471.

*6:Anna Komnene, translated by E.R.A. Sewter, revised by Peter Frankopan, The Alexiad, London, 2009, p. 525; Anne Comnèn, texte tradui et annoté par Bernard Leib, introduction par Peter Frankopan, Alexiade: règne de l'empereur Alexis Ier Comnène (1081-1118), Paris, 2019, p. 581.

*7:“Carlori du Fresne Ambiani, dom du Cange, Quæestris Franciæ, In Annæ Comnenæ Caesarissæ Alexiadem notae historicæ et philologicæ", in Ιωάννη Κιννάμου βασιλικού γραμματικού Ἱστοριῶν λόγοι ἕξ = Joannis Cinnami imperatorii grammatici Historiarum libri sex, seu de rebus gestis a Joanne et Manuele Comnenis Impp. CP., Parisiis, 1670, pp. 221-425, inter alia p. 401, later published as "Caroli Ducangii In Annae Comnenae Alexiadem: Notae historicae et philologicae", in Ludovicus Schopenus ed., Annnae Comnenae Alexiadis libri XV, v. 2, Bonn, 1878, pp. 415-703, inter alia p. 668.

*8:Ph. Grierson, "The Debasement of the Bezant in the Eleventh Century", Byzantinische Zeitschrift 47, 1954, pp. 379-394, esp. p. 391, n. 5.

*9:Cecile Morrisson, "Le michaèlaton et les noms de monnaies à la fin du XIe siècle", Travaux et mémoires (Centre de recherche d'histoire et civilisation Byzantines), 3, 1968, pp. 369-374, surtout p. 373.

*10:この結論どおりにミカエル7世の金貨を指すことでおおむねいいと思うのだが、細かいところで訂正が必要な点がある。ディアボリス条約では前掲の次の節に「今後先の皇帝プロヴェバシレフスであり主人キルたるミハイルの肖像を刻んだ二〇〇タランダを年金授与として帝国金庫から受け取ることになる」(『アレクシアス』、467頁)と言い直している。モリソンはこの"προβεβασιλευκότος < προβασιλεύω"という語が、直前の皇帝であることを意味すると解釈しているが (Morrisson, op. cit.)、『アレクシアス』の中でも、コンスタンティノス10世ドゥーカス、イサキオス1世コムネノス、ニケフォロス3世ボタネイアテス、ロマノス4世ディオゲネスの皇帝たちがこの語で形容されている (Reinsch & Kambylis, eds., v. 2, p.192. こちらでは第XIII巻12章26節の皇帝をミカエル4世ではなく、同7世としている)。そもそもアレクシオス1世の直前の皇帝はミカエル7世ではなくニケフォロス3世である。

*11:Philip Grierson, Catalogue of the Byzantine Coins in the Dumbarton Oaks Collection and in the Whittemore Collection, Volume 3. Leo III to Nicephorus III, 717–1081, Washington, D.C., 1973, pp. 60f.

*12:Codex diplomaticus cavensis, t. 6, Milano, p. 117; cf. Philip Grierson, Catalogue of the Byzantine Coins in the Dumbarton Oaks Collection and in the Whittemore Collection, Volume 3. Leo III to Nicephorus III, 717–1081, Washington, D.C., 1973, pp. 51 & 60.

*13:Anna Komnene, tran. by E. R. A. Sewter, rev. with introd. and notes by P. Frankopan, The Alexiad, London, 2009, p. 525, n. 31; Anne Comnène, texte etbli & trad. par B. Leib, Alexiade: règne de l'empereur Alexis I Comnène, 1081-1118, tom. 3, Paris, 1945, pp. 136f., n. 3.

*14:Cecile Morrisson, "Le michaèlaton et les noms de monnaies à la fin du XIe siècle", Travaux et mémoires (Centre de recherche d'histoire et civilisation Byzantines), 3, 1968, pp. 369-374, surtout p. 374.