A・P・カジュダンのビザンツ観

 この機会に、連続ツイートしたものを編集してブログに挙げてみようと思う*1


 以前ビザンツにおける科学について調べるとき、C. Mango, “Byzantium’s Role in World History” in The Oxford Handbook of Byzantine Studies (Oxford, 2008)を読んだ。そこにソ連出身で、後に米国に移住したビザンツ学者A・P・カジュダン(1922年9月3日-1997年5月29日)の文章が引用されていた。それは彼の生誕80周年記念論文集*2に所収されていた"Трудный путь в Византию" (「ビザンツへの困難な道」)という文章からのものでマンゴーが引用にあたって英訳したのだろう。なかなか興味深いものなので日本語に重訳して紹介する。

私がビザンツの歴史とその20世紀への重要性について考える時、いつも、ビザンツは我々にヨーロッパの全体主義のユニークな経験を残したのだという同じ考えに立ち返る。私にとって、ビザンツは正教信仰の揺籃や古代ギリシアの宝物の保管庫というよりも、全体主義の実践の1000年にも渡る経験であり、その理解なくしては、我々〔すなわちロシア人〕が歴史的経緯における我々自身の位置を理解することは不可能であるように思われる*3


 この暗いビザンツ観は彼の別の著作の序論でも述べられている。

 社会的関係の欠如あるいは緩さ―換言すれば個人主義―は、社会におけるビザンツ人の態度を定義する最も重要な特徴である。しかし個人主義という用語は、ビザンツ個人主義ルネサンスや近代的タイプの個人主義的行動とは根本的に異なるので、それとそのより新しい類似を区別するために自由なき個人主義と定義される必要があり、ここでそう呼ばれるだろう。平均的なビザンツ人は、あらゆる強固な形態の社会的関係を奪われているので意識的に核家族の狭いサークル内にとどまり、集団的防衛や援助の手段を欠いているので危険な世界において孤独と孤立を感じていて、不可解で抽象的な権威の前に無防備である*4

 

 

*1: https://twitter.com/Basilio_II/status/528822246207275009?s=20&t=dVT4JzgtF1mFU8gYu5dAHA 以下のツリーと https://twitter.com/Basilio_II/status/722762785713565697?s=20&t=rZrvepWBi918eQ1cmnwNtw 以下のツリー。

*2:Мир Александра Каждана : к 80-летию со дня рождения (『アレクサンドル・カジュダンの世界 : 生誕80周年に寄せて』), Санкт-Петербург, 2003. 筆者未見。

*3:Mango, ibid., p. 958. 亀甲括弧内はマンゴー。

*4:A. P. Kazhdan & G. Constable, People and power in Byzantium : an introduction to modern Byzantine studies, Washington, D. C., 1982, p. 34. 拙訳。