ビザンツの科学分野における貢献

 イスラム科学や西欧中世の科学に比べて、科学史におけるビザンツの貢献への関心は概して薄い。

 ビザンチンの学者たちは上記のような知的優位にあったにもかかわらず、彼らの良き富を利用しなかった。「学問の園」は科学史、自然哲学史においてほとんど何も花を咲かせなかった。しかしながらこれらの学問領域におけるビザンチンの成果に関するどんな判断も、これらの学科に関する文献の大部分がいまだ出版されておらず、それゆえ大部分読まれていないということを理解した上で下されなければならない。*1

 せいぜいギリシア語古典文献の保存者として特筆されるくらいである。

 ビザンチンの学者たちが、そうであると思われるのだが、自然哲学や科学において知的に生産的でなかったと思われるが、それはどうしてかということを知ることも重要ではあるけれども、彼らの本当の知的重要性はギリシアの科学的伝統の保存と伝達というところにあるということを認めることの方がはるかに重要で適切である。ビザンチン人はこの計り知れない貢献によリヨーロッパ中世において正しくも「世界の司書」と呼ばれたのであった。この意味でビザンチン帝国は科学と学問の歴史において重要な役割を果たしたのである。*2

 あるアメリカの科学史家が「なぜ誰かがビザンツの科学について関心を持つべきなのか?」というブログ記事で、ビザンツ学者でさえ、これに関心が薄いとしている。

他方、ビザンツの科学の欠如は、ビザンツ学者自身の否定的な評価をも繰り返す。Cyril Mangoは、明らかに主要なビザンツ学者の一人だが、最近従来通りに「ビザンツは科学におけるいかなる発展にも帰されていない…」と指摘した。科学的成果の欠如の例として以下のように述べている。

"科学は、もしそれが正確な言葉ならばだが、聖書に基づき、世界が長方形の箱のように形作られていることを証明した、コスマス・インディコプレウテス(6世紀)のキリスト教地誌、によって代表された。"(2)
(2)Mango, “Byzantium’s Role in World History” in The Oxford Handbook of Byzantine Studies, ed. E. Jeffreys, J. Haldon, and R. Cormack (Oxford: OUP, 2008), 958, 959–60.*3

 だが、C. Mangoの原文はビザンツの科学への貢献の欠如についての彼の見解を述べたものではない。
 上述のブログに引用された「ビザンツの世界史における役割」という文章の最初の方で、彼は東欧と西欧のビザンツ学者においてビザンツに対するスタンスの違いがあるのではないかと述べる。東欧の歴史家の代表者として、ソ連出身のA. P. Kazhdanが、ビザンツの本質を「思想的全体主義」で定義しようとしていることを述べている。*4それに対して、J. B. Burry、Norman Baynes等の西欧の歴史家はビザンツが自分たちに対する貢献を探し求めようとするとしている。そのような貢献に「アジアからの攻撃に対するヨーロッパの防御壁」の役割や、ギリシア思想やローマ法の保存・伝播者としての役割等が挙げられているが、「寛大な査定にもかかわらず、ビザンツは科学、哲学、政治理論のいかなる進展、あるいは偉大な文学を生み出すことについて功を帰されていない。」*5としている。つまりこの評価はMango自身のものではない。
 また、Mangoは後の方で、ビザンツのスラブ人に対する「教育」への貢献について論じる中で以下のように述べている。

 一つだけ明らかなことがある。スラブ人の改宗は(ギリシアの一部を除いて)ギリシア語圏の拡大を伴うものではなかったことである。ビザンツ共同体の共通言語は、ビザンツ自身が書き言葉として作り上げるのを援助した教会スラブ語であり、そうであり続けた。ビザンツはしばしばこれについての寛容を称賛される。*6

そのため、スラブ人はギリシア語を学ぶことを強いられず、ギリシア語で書かれた文献は教会スラブ語に翻訳されたのだが、それは主に典礼書や聖人伝、年代記などで、「科学は、もしそれが正確な言葉ならばだが、聖書に基づき、世界が長方形の箱のように形作られていることを証明した、コスマス・インディコプレウテス(6世紀)のキリスト教地誌によって代表された。」*7
そしてこの後、Mangoは、ビザンツがスラブ人にもっと知的な文献をスラブ人に伝えず、その面では重要な役割を果たさなかったことしている。つまりMangoは東欧への科学の伝播にはビザンツは貢献していなかったと述べているだけなのであって、ビザンツの科学面における成果が欠如していることを述べているのではない。

*1:E・グラント(小林剛訳)『中世における科学の基礎づけ: その宗教的,制度的,知的背景』知泉書館、2007年、294頁

*2:前掲書、300−301頁、註記号は省いた。

*3:Darin Hayton, "Why Should Anybody Care about Byzantine Science?", PACHSmörgåsbord - Philadelphia Area Center for History of Science, Sept. 23, 2010. http://www.pachs.net/blogs/comments/why_should_anybody_care_about_byzantine_science/(accessed, Dec. 24, 2014). 原文の註番号は型付き数字。また原文での引用は字下げであったが、わかりやすいよう訳出においては二重引用符に変えた。

*4:これについては既に先月連続ツイートで紹介している(https://twitter.com/Basilio_II/status/528822246207275009以下のツイート)。

*5:C. Mango, “Byzantium’s Role in World History”E. Jeffreys, J. Haldon, & R. Cormack eds.,The Oxford Handbook of Byzantine Studies , OUP, 2008, pp. 957-961, esp. p. 958.

*6:Ibid., p. 959.

*7:Ibid., pp. 959f.