「28歳研究者 原子力を問う」(『朝日新聞』2012年8月14日夕刊3面)

 昨日の朝日新聞夕刊の文化面に、『「フクシマ」論 : 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社, 2011年)の著者開沼博と『核エネルギー言説の戦後史1945-1960 : 「被爆の記憶」と「原子力の夢」』(人文書院, 2012年)の著者の山本昭宏の「対談」記事が載っていた。ともに28歳の研究者ということで「28歳の研究者 原子力を問う」というタイトルだった*1
 その最後の部分は以下のようになっている。

 ――今後のエネルギー政策を国が明確に示せないことをどう見ますか
 開沼 経済成長で社会をよくするという目標を失って「政治の言葉」が無効化し、せり出してきたのが「市場の言葉」。経営者的な視点で不合理やむだを批判する言葉が非常に力を持ってきている。ここ10年ほど、その市場の言葉が原子力を礼賛してきたし、今も原子力を維持しようとしています。
 山本 「市場の言葉」を私は「消費者的メンタリティー」ととらえています。生まれてから一度も経済成長を経験していない今の学生たちは、これ以上は生活レベルを下げたくない、あわよくば、少しでも得したいと考えている。そんな「消費者的な連帯」が保守的な方向に向かっています。
 開沼 日本は成長という「夢」を見てきて、そこから覚めたくない、とだだをこねているうちに今のようになってしまった。では、夢から覚めたら不幸かというと、「それなりにいいよね」と若者は感じている。それをニヒリズムと批判する人たちには、逆に「夢から覚めましょうよ」と言いたいですね。

〔太字強調引用者〕

 山本は「学生」が現状以上の生活レベルを望んで保守化していると言っているのに対し、開沼は「若者」が、経済成長の「夢」から覚めても「それなりにいいよね」と感じていると述べている。開沼の言う「若者」がどの程度の範囲を示すのかわからないが、普通に考えれば、山本の言う「学生」も入る概念であるだろう。「対談」の他の部分はともかくこの部分では話が噛み合っていない。これで終わりにされてしまうと、読んでいる側としては、落ち着かない。ここからもっと掘り下げた話を読みたかった。話が「原子力」から離れてしまうとしても。

*1:朝日新聞』2012年8月14日夕刊3面