【修正あり】「ボドマー・レポート」のボドマー、「公衆の科学理解」について語る。

 「欠如モデル」という言葉は1985年にロイヤル・ソサエティが発行した報告書The Public Understanding of Science*1に端を発するレポートや調査が依拠している「暗黙の仮定」を形容するモデルとして、1991年に出されたいくつかの論文の中で登場したという*2
  このThe public understanging of science報告書は、これをまとめた特別委員会の議長ウォルター・ボドマー(Walter Bodemer)の名に因んでボドマー・レポートと呼ばれる。このボドマーが書いた「公衆の科学理解」についての論文を見つけたので読んでみた*3
 彼はこの報告書の目的について以下のように述べている。

The main eventual thrust of the report, published in 1985, was directed at the need for scientists to learn how to communicate with the general public in all its guises, and to consider it a duty to do so.*4
(1985年に出版されたこの報告書の主要な最終目的は、科学者達があらゆる形態で一般公衆とコミュニケーションをとる方法を学び、そうすることを義務と考える必要性に注意を向けていた。)

 やはり「欠如モデル」と呼ばれるのは不本意のようで、この論文には「欠如モデルとその欠如(The Deficit Model and Its Deficiencies)」という節があり、反論をしている。
特にこの部分、

This has come to be known as the ‘deficit model’, a term apparently coined by John Ziman, who was actually a member of the Royal Society group and signed off on the final version of the report.*5
(これは実際にロイヤル・ソサエティ・グループのメンバーであり、このレポートの最終版に署名したジョン・ザイマンによって明らかにどうも造語されたらしい言葉、「欠如モデル」として知られている。)〔2012年2月23日修正〕

あなただって、この報告書を作成した一員ではないですか、という感じがひしひしと伝わる*6。その他、ウィンやミラーなどの論文やレポートにも反論をしている。
 もちろん、ボドマーは「欠如モデル」批判言うような公衆の関与が必要だというは認める、しかし、

But how can there be the dialogue that this requires, without some understanding of the scientific issues involved? ... Without the ability to explain science in a way that the non-expert can understand and a willingness to get involved in the dialogue, there can be no public engagement.That is the key issue that the 1985 report was addressing.
*7
(しかし、関連する科学的問題のいかなる理解も無しに、これが求めている対話がどのようにありうるだろうか?…非専門家が理解できる方法と対話に関わり合う意志を持って科学を説明する能力なくしては、公衆の関与はありえない。これが1985年のレポートが扱った主要な問題である。)

 そして、この節の最後を次のように締めくくっている。

I have sometimes asked the question in public: ‘Does anyone have an argument against the public understanding of science?’ I have never received a reply!
*8
(私は時々公然とたずねる。「誰か公衆の科学理解に反論していますか?」私は今までその返事を受け取ったことがない!)

 BSE問題などには触れていないので、多少自己弁護的かもしれないが、一つの考えとして紹介してみた。

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おまけ
 ボドマーは、レポートから25年経た後の変化として、大学進学率の向上とWebで得られる情報が増えたことを挙げている。

The second major change is the extraordinary, explosive increase in information available on the Web. This is both a blessing and a problem. It enormously increases the opportunity for self-education on the Web but raises the question of which of the millions of sources of information can be trusted.
*9
(第二の主要な変化はウェブ上で利用できる情報の並外れていて、爆発的な増加である。これは祝福すべきことであると同時に問題でもある。それは、ウェブ上での自学のための機会を非常に増加させたが、確認されなければならない情報の膨大な典拠の問題も引き起こしている。)

*1:邦訳:大山雄二訳「公衆に科学を理解してもらうために」I『科学』56(1)、1986年、21-29頁、II、同56(2)、1986年、96‐102頁、III、同56(3)、1986年、171-181頁(筆者未見)。

*2:藤垣裕子「受け取ることのモデル」藤垣裕子・廣野喜幸編『科学コミュニケーション論』東京大学出版会、2008年、109‐124頁、特に110頁。

*3:Walter Bodmer, "Public Understanding of Science: The BA, the Royal Society and COPUS", Notes & Records of the Royal Society,64, 2010, pp. 151-161. ここではオンライン版| Notes and Recordsを参照し、引用にあたっては、PDF版の頁付け(pp. 1-12)を用いる。

*4:Ibid., p. 4.

*5:Ibid., p. 7.

*6:おそらく、J. Ziman, "Public understanding of science", Science, Technology and Human Value 16(1), 1991, pp. 95-105.ただし、同じ雑誌のpp. 111-121に掲載のB. Wynne, " Knoswledges in context"が「欠如モデル」を造語したと言う研究者もいる。両論文とも未見のため、筆者は今判断することができない。また、藤垣前掲論文、120頁註3では、「欠如モデル」という言葉は論文の中に登場する前に、英国内部のワークショップの中では1988年から使われていたという。

*7:Bodmer, op. cit., pp. 8f.

*8:Ibid., p. 9.

*9:Ibid., p. 10.