雑誌『科学』は9月号で「科学は誰のためのものか─原発事故後の科学と社会」という特集を載せている。その中の一つに流通経済大学法学部講師尾内隆之氏と東北大学大学院理学研究科准教授本堂毅氏の共著論考「御用学者がつくられる理由」があった*1。この論考については『科学新聞』*2と『朝日新聞』*3で言及されていた。
一点だけ、私が興味深いと思ったことを挙げておく。それはこの論考が権力側の専門家だけでなく、市民の側に立って「御用学者」に対峙する対抗専門家(counter expert)にも以下のように述べていることだ。
「御用学者」の定義に, クライアントの要望にしたがって専門的知見を特定の立場に有利に働くように恣意的に用いることへの批判が込められている以上, その点を問題視するならば, 政府や企業などの権力側に対抗的に行動する科学者や市民の側も, 「踏み越え」の問題点を理解し, 価値判断を分節化して議論することが必要である。
(「御用学者がつくられる理由」892頁)
この観点は今ネット上で盛んに「御用学者」、「エア御用」の言葉が飛び交っているが、「対抗専門家」についても安易にその説くところを盲信するべきではないだろうと、私は思う。
*1:『科学』2011年9月号=81巻9号、887−895頁。独立行政法人科学技術振興機構社会技術研究開発センター不確実な科学的状況での法的意思決定プロジェクトのサイトの資料提供 - L&Sページから全文のPDFファイルが読める。
*2:「尾内、本堂両氏は、科学者が科学の適応範囲を踏み越える場合には、科学研究自体がもつ不安定性と価値判断という2つの要素が関連しているとし、「後者は科学的知見だけでは答えが出ない問いに、科学者が『科学の答え』のごとく発言する場合に問題となる」と指摘している。」「素領域」『科学新聞』2011年9月23日 1面
*3:「科学専門誌の「特集 科学は誰のためのものか」(科学9月号)が、専門外の読者にも読ませる内容。尾内隆之・本堂毅「御用学者がつくられる理由」は、「行政や市民らの非専門家が科学者に価値判断までをも委譲している」とし、科学者が本来の領域を「踏み越え」て、社会的判断までも下してしまうことの問題を論じる。」「編集部が選ぶ注目の論考」『朝日新聞』2011年09月29日 朝刊 19面